やる気の出し方―主体性の話―

勉強の意味

こんにちは。takuです。

今回は「主体性」についてお話します。

このブログの大きな2つのテーマのうちの1つ、「なぜ勉強をするのか」について、
勉強は必要性があってやるものだ」という大きなポイントがありました。

今回の「主体性」はもう一つの大きなポイントであり、「必要性」を説明する非常に重要な要素でもあります。

今回は「主体性」の役割と、なぜ「主体性」が大事なのかについて説明していきます。

【今回のポイント】
勉強において重要な要素「主体性」について理解する!
【こんな人にオススメ!】
頭ごなしに「勉強しなさい!」と言ってしまう方!絶対見てほしい!!

それでは!

これで決まりだ!

主体性とは―主体性の役割

主体性の意味自体については一般に用いられている意味で特に深い意味はありません。

要するにここで言いたいのは、「勉強をするのは学生たる子どもたち本人である」こと、そして「自分自身を伸ばす、自分の将来を決めるのは自分しかいない」ということです。

これを自覚することで勉強、もっと言えば人生それ自体が成り立つのです。

なぜ主体性が重要なのか

さて、ではなぜここまで主体性が重要だと言っているのかというと
大きく2つの理由があります。

「人生は自分で歩いていくものだから」、そして「人間は自分の意思を尊重する生き物だから」です。どちらも当たり前の話でしょう。

詳しく説明していきます。

理由①:自分の人生は自分自身が歩むものだから

まず、自分が人生を歩むという話です。

これは結局自分の人生は自分が歩んでいる以上、その歩み方を決める権利は自分だけにあるのであり、そして決めたことは全部自分自身が責任を持つべきだということです。

逆に言えば、自分のことを親などの他人が全部やってしまうのは絶対におかしいです。

なぜそう言えるのかは簡単です。例えば親に依存し続けたとして中学高校(大学)と卒業した後は就職。

ここまでは親に依存しても何とかなりますが、親が死んだ後は結局自分を頼りにしなければなりません。

それでも結婚をして子どもを産んで家族に依存できるとすれば自分の人生は何とかなりますが、そんなことを普通にできるとは到底思えないですよね。

そもそも、そんなことを望んでいる方はこのブログなんて読まないと思います。当ブログもこういうことはオススメしません。

僕が目指しているのは「一人一人が幸せに人生を送る」ということです。そのためには結局最後は自分の責任のもとで動く必要があるのです。

理由②:人間は自分自身の意思を一番尊重する生き物だから

もう一つ、人は自分の意思を一番大切にしなければならないということです。

自分が望んでいることと他の人が望んでいることが対立するものであった時、もし他者を尊重するのであれば自分の意思を我慢することになります。

これは確かによくある話なのですが、我慢をするというのは必ず「苦痛に対して」という言葉が伴います。

つまり自分が望んでいないことをやるのは自分にとってストレスになるのです。

親は子どものことを何でも知っていると思いがちですが、本当に100%隅から隅まで完璧に分かるとは限りません。なぜなら親はあくまで自分の子とは違う他者だからです。

そして「子どものためだから」という理由で何かを言うのもあまり良くありません。それが子どもにとって嫌なことであれば子どもに苦痛を与えることになります。

それは果たして子どものためになるのでしょうか。僕はノーだと思います。

それよりもむしろ好きにやらせてしまった方が楽だし子供にとってもプラスです。

結果的に子どもがそれで痛い目にあったとしてもそれは「子どもの責任」である以上、子どもはそれをちゃんと受け入れるはずであり、そうすべきです。

それでももし勉強をしてほしければ、それは「親の気持ち」なので「お願いします。私たちのために勉強をして下さい。」と丁寧にお願いをするのが筋というものです。

最後に

さて、そこまで言うと僕の教育経験の浅さを指摘されそうなので僕自身の話を少しします。

まず教育経験自体は家庭教師バイトや後輩の面倒くらいです。

家庭教師については成績を上げるという使命があるように思われるかもしれませんが、成績を上げること自体はあくまでオーダーの一つです。

僕がこのバイトで目指しているのは「幸せな家庭環境を作ること」「生徒にとってベストな人生を送るようにすること」です。学校の成績はその中の一部です。

そして後輩の面倒では「後輩を成長させること」「関係を構築してコミュニティのまとまりを作ること」であり、学校の成績やコミュニティ(吹奏楽なら演奏のクオリティ)はあくまでその中の一部です。

より先の話をすれば、僕は自分の子どもには何をしても何になっても構わないと思っています。非行に走ることなくただ幸せに生きてさえいれば一向にかまいません

これも結局「みんながハッピーでさえいればいい」というおおざっぱな話です。

ここの背後にある考え方は「一人の人間として扱う」ということです。それがこの「主体性」なのです。

 

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